【LV通信】坂と海と文学のまち──尾道の歴史をたどる

広島県東南部、瀬戸内海に面した尾道市。海と山に挟まれた細長い地形に、石段と路地が迷路のように張り巡らされ、

寺社や古民家が点在するこの町は、「坂のまち」「文学のまち」「映画のまち」として知られています。

しかし、その魅力の根底には、千年を超える歴史の積み重ねがあります。

 

今回は尾道市の歴史について深堀していきます。

■ 港町としてのはじまり

尾道の名が文献に初めて登場するのは、平安時代中期の永保元年(1081年)。当時はまだ小さな集落でしたが、嘉応元年(1169年)に

備後国大田庄の荘園米を積み出す「倉敷地」として公認されてから、尾道は港町としての歩みを始めます。

その後、対明貿易や北前船の寄港地として栄え、瀬戸内海の物流の要衝となりました。

中世から近世にかけては、豪商たちが町の発展を支え、多くの寺社が建立されました。

現在も残る浄土寺や西國寺、千光寺などはその象徴です。

 

■ 港町尾道のはじまり(平安末期〜鎌倉時代)

1. 尾道浦から港町へ

尾道という地名は、永保元年(1081年)の『西國寺文書』に「尾道浦」として登場しますが、

当時はまだ港町ではなく、海辺の小さな集落でした。

尾道が港町として発展する契機となったのが、嘉応元年(1169年)に大田荘の倉敷地として

認められたことです。

大田荘は現在の世羅町周辺に広がる荘園で、平清盛の五男・重衡の領地でした。

この地で収穫された年貢米を京へ運ぶための港が必要となり、天然の良港であった尾道が選ばれたのです。

2. 高野山との関係

その後、尾道は後白河院に寄進され、文治2年(1186)には高野山領に編入されました。

高野山からは港の管理者として「預所」が派遣され、尾道に住み年貢米の管理と輸送を担いました。

港には関税(津料)も課されるようになり、独立した港町としての性格を強めていきます。

3. 海運業者の登場

港の発展に伴い、「問丸」「梶取」と呼ばれる海運業者が登場します。

彼らは当初、荘園領主の下で輸送管理を担っていましたが、

次第に独立した商人として港町の経済を支える存在となっていきました。

 

■ 中世の港町としての発展(鎌倉〜室町時代)

1. 港湾施設の整備

13世紀後半になると、尾道には恒常的な港湾施設が整備され、港町として急速に発展します。

発掘調査では、杭列や土止め遺構など港湾施設の痕跡が確認されており、

当時の港の中心地は現在の「防地口」周辺だったと考えられています。

2. 浄土寺との関係

港の発展とともに、浄土寺などの寺院も整備されていきます。

浄土寺は港湾集落の有力者によって建立され、

港町の宗教的・文化的中心としての役割も果たしました。

3. 遺跡から見える生活

尾道遺跡の発掘では、中国製の白磁碗や朝鮮半島製の青磁、瀬戸焼・常滑焼などが出土しており、

尾道が東アジアとの交易拠点であったことがうかがえます。

また、木簡や漆器などから当時の人々の生活の様子も明らかになっています。

 

■ 文学と芸術の舞台

尾道の風景は、多くの文人や芸術家を魅了してきました。志賀直哉はこの地で『暗夜行路』の草稿を執筆し、

林芙美子は女学校時代を尾道で過ごしました。

画家・小林和作もこの地を愛し、数々の作品を残しています。

また、映画監督・大林宣彦が撮った「尾道三部作」(『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』)は、

尾道の風景を全国に知らしめました。坂道と石段、海を望む町並みは、まるで箱庭のような美しさをたたえています。

■ 文化財と伝統行事

尾道には、国宝の浄土寺本堂や多宝塔をはじめ、数多くの文化財が点在しています。

市内には指定文化財が377件、国登録文化財が42件もあり、

歴史的建造物と町並みが一体となった景観が守られています。

また、秋の「ベッチャー祭」や夏の「住吉花火大会」など、

地域に根ざした祭礼も健在。これらの行事は、町の歴史と人々の暮らしを今に伝える大切な文化遺産です。

■ 未来へつなぐまちづくり

尾道市は、2005年以降の市町村合併を経て、しまなみ海道や中国やまなみ街道の整備により、交通の要衝「瀬戸内の十字路」としての

役割を強めています。

観光地としての人気も高まり、国内外から多くの人々が訪れるようになりました。

しかし、尾道の魅力は単なる観光地にとどまりません。

空き家の再生や文化財の保存、地域住民との協働によるまちづくりなど、

歴史と文化を未来へとつなぐ取り組みが進められています。

 

■空き家再生と地域活性化

尾道市は、坂道や狭い路地が多い地形のため、空き家が目立つようになりました。

これに対処するため、「空き家バンク制度」を設け、NPO法人「尾道空き家再生プロジェクト」と

連携して、空き家の再生や入居者支援を積極的に行っています。

この取り組みは、単なる建物の再利用にとどまらず、地域コミュニティの再生や若者の移住促進にも

つながっており、全国的にも注目されています。

こうした活動は、2013年度に文化庁長官表彰(文化芸術創造都市部門)を受賞するなど、高く評価されています。

 

■文化財の保存と活用

尾道市は、国宝4件を含む394件の指定・登録文化財を有し、中世から現代に至るまでの多様な

歴史的資源を保有しています。

これらを活かすために、以下のような計画が策定されています

  • 尾道市文化財保存活用計画:文化財の保存・活用を推進するための具体的な事業計画。
  • 歴史文化資源市民登録制度:市民が地域の文化財を登録し、保全活動に参加できる仕組み。
  • 歴史的風致維持向上計画:歴史的建造物の修理や景観保全、まちなかの回遊性向上を目指す。

■地域住民との協働

尾道市のまちづくりは、市民との協働を重視しています。

市民が文化財の保護活動に参加する「文化財サポーター制度」や、地域の歴史文化を学ぶ

「尾道歴史文化読本」の作成など、住民が主体となる取り組みが進められています。

また、映画やドラマのロケ地としての魅力を活かし、尾道フィルムコミッションを設立。

市民がエキストラとして参加するなど、地域全体で文化を発信する体制が整えられています。

 

■観光と交通の要衝としての発展

尾道市は、しまなみ海道中国やまなみ街道の整備により、「瀬戸内の十字路」としての

役割を強化しています。これにより、国内外からの観光客が増加し、地域経済の活性化にもつながっています。

特に、しまなみ海道はサイクリングの聖地としても知られ、国際的な大会も開催されるなど、

観光資源としての価値が高まっています。

 


尾道市は、風情ある街並みと豊かな自然に恵まれた魅力的な地域です。

しかし近年、人口減少や高齢化の影響により、空き家の増加が深刻な課題となっています。

かつて人々の暮らしが息づいていた家々が、今は静かに時を止めている――その姿を見るたびに、

私たち不動産業者として何ができるのかを考えさせられます。


空き家は、放置されることで防災・防犯のリスクを高める一方で、再生すれば新たな価値を生み出す可能性を秘めています。

例えば、若者や移住者向けのリノベーション住宅、地域コミュニティの拠点、あるいは観光資源としての活用など、

空き家の再生は地域の未来を切り拓く鍵となり得ます。


私たちは、単なる「物件の仲介者」ではなく、「地域の未来をつくるパートナー」でありたいと願っています。

空き家の利活用を通じて、尾道に新しい人の流れを生み出し、地域の活力を取り戻すお手伝いができれば、

それは不動産業者として何よりの喜びです。


地域の皆さま、行政、そして移住を考える方々と手を取り合いながら、

尾道の魅力を次世代へとつなげていく――そんな未来を描きながら、

今日も一軒一軒の空き家に向き合っています。

 

 

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